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また、その件に関して一切の苦情を受け付けません。
これを逃すと二度目はありません! & 津山へ来んちゃい(`・ω・´)b [津山の歴史]
まず、『来んちゃい』とは・・・
『こんちゃい』とか『くんちゃい』ではなく、『きんちゃい』と読みます。
これは津山弁で『いらっしゃい』って意味になります。
いや、マジで今回を逃すと二度目のチャンスはないと断言しちゃいます。
来る10月27日に『岡山三大祭り』の1つ、津山まつり・徳守神社の秋大祭が開催されます。
今年は、『美作国(みまさかのくに)建国1300年事業』の一環として、徳守神社の氏子町内に現存するだんじり24台全てが出揃います。
まずは、コチラ↓をご覧ください
津山だんじり最強伝説 - YouTube
(紫色のペナントを掲げただんじりは『岡山県指定重要文化財だんじり』です)
津山まつり 2009(10/25) Tsuyama matsuri - YouTube
徳守神社のお神輿は日本三大神輿の1つと言われていて、総勢約150人の輿丁(よてい)によって担がれています。
津山まつり 徳守神社秋祭り (2012)
(朝、徳守神社から出発したお神輿は氏子町内を御巡幸し、日もどっぷりと暮れた夜8時ころまで神社へ帰還しません。)
徳守神社の秋大祭は、江戸時代にお祭りを派手にさせないため、だんじりの出動数が制限され今もそのしきたりが守られています。
そして、だんじりが数多く出る表年、数の少ない裏年があり、表年でさえ10台程度しか出動しません。
それが、24台出揃うわけですから、一体どうなっちゃうんでしょうか?
だんじり巡行の時とか、だんじり同士で渋滞しちゃわないのでしょうか?
津山の秋祭りは、大人はお神輿でお祭りに参加しますが、氏子町内会の子供達はだんじりに乗ってお祭りを楽しみ、大人も子供も秋祭りを満喫します。
津山市も、他の地方同様に少子高齢化が進んでいます。
そのため、今後どんなに大きなイベントがあったとしても、24台全てのだんじりが出揃うことは二度とないでしょう。
このチャンスに一度津山へ来てみんちゃい!(`・ω・´)v
26日には、宵宮があって明るく照らされただんじりも綺麗ですので一泊覚悟で来んちゃいよ~(≧∇≦)
私は写真を撮るのが忙しくて御案内役は出来そうもありませんm(_ _)m
過去の徳守神社秋大祭の記事はコチラ↓
過去記事:徳守神社の秋祭り (その1):徒然なるままに、その日暮らし:So-netブログ
過去記事:徳守神社の秋祭り (その2):徒然なるままに、その日暮らし:So-netブログ
過去記事:徳守神社・秋大祭 (宵宮編):徒然なるままに、その日暮らし:So-netブログ
それでは、今日はこの辺で・・・
ヾ(^▽⌒*)ノシ
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(朝、徳守神社から出発したお神輿は氏子町内を御巡幸し、日もどっぷりと暮れた夜8時ころまで神社へ帰還しません。)
徳守神社の秋大祭は、江戸時代にお祭りを派手にさせないため、だんじりの出動数が制限され今もそのしきたりが守られています。
そして、だんじりが数多く出る表年、数の少ない裏年があり、表年でさえ10台程度しか出動しません。
それが、24台出揃うわけですから、一体どうなっちゃうんでしょうか?
だんじり巡行の時とか、だんじり同士で渋滞しちゃわないのでしょうか?
津山の秋祭りは、大人はお神輿でお祭りに参加しますが、氏子町内会の子供達はだんじりに乗ってお祭りを楽しみ、大人も子供も秋祭りを満喫します。
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11月18日で43年間の歴史を閉じる津山市横野の紅葉亭 [津山の歴史]
追記(2013.05.05)
横野滝の紅葉亭(こうようてい)は、2013年4月29日、経営者が変わり新たに『もみじ亭』として復活しました。
該当記事:メチャウマだった『ぼたん鍋』@横野滝『もみじ亭』:徒然なるままに、その日暮らし:So-netブログ
追記終わり
大変ご無沙汰しております;;
仕事疲れで記事のUPが遅くなってしまいましたが、先日、津山市横野にある年間約5万人の観光客が訪れる紅葉亭へ出かけてきました。
紅葉の写真を撮るのと同時に、『本当に紅葉亭が閉店するのか?』、『存続の話はないのか?』を確かめに・・・
が、過去記事でお知らせしましたように紅葉亭の閉店の日が決ってました。・゚・(ノД`)・゚・。
過去記事:横野滝の紅葉亭が今年で閉店らしいです。・゚・(ノД‘)・゚・。:徒然なるままに、その日暮らし:So-netブログ
従業員のおばちゃんの話によると11月18日で完全閉店することが決まってました。・゚・(ノД`)・゚・。
おばちゃんが言うには『来るお客さん、来るお客さんに閉店しないで!って怒られっぱなしだったわ』って・・・
どれだけ紅葉亭が津山市民や近県の方たちに愛されていたかが判ります。
もう、今年限りで紅葉亭で滝を見ながら気さくなおばちゃんたちと話しながら食事も出来ないのかと思うと悲しくてたまりません;
で、焼き肉やぜんざいなども頂いて帰ったのですが、写真を撮るのを忘れてしまいました;;
『ぜんざい』ったって、半端なボリュームじゃないんですよぉ^^;
『つやまNPO支援センター事務局』さんのブログで、ぜんざい他のボリュームが判ります↓
外部リンク:え?? まさか!? マジで!!∑(゚ω゚ノ)ノ つやまNPO支援センター事務局ブログ
つやまNPO支援センター事務局さん、遅くなりましたが私のブログをリンクくださりありがとうございました^^
記事をUPしましたら、該当記事にもお礼を書きに参らせていただきます^^;
おばちゃんの話によりますと、紅葉亭が閉店すると決まったら、津山市から『援助をしようと考えていたのに・・・』とのお言葉があったそうですが、事後に言うのは簡単ですし嘘だったとしても判りませんよね?;;
紅葉亭は、オーナーご夫婦が43年前から経営をしてこられ、一度たりとも津山市から援助を受けたことがなかったようです。
なので、『ここへきて”援助”なんて言われても信じられない』とおばちゃんが言ってましたが、私も同感です。
平成10年の台風で、この紅葉亭は壊滅的なダメージを受け、復活に際しても津山市からは一銭も援助がなかったんだそうです。
言っちゃ悪いけど、津山市の公式HPにも、紅葉亭のことが掲載されているのに・・・
外部リンク:横野滝 - 津山市公式ウェブサイト
横野滝周辺の紅葉も終わりを告げようとしております。
紅葉亭の完全閉店まで残り一週間ありますので、是非とも紅葉亭へ足をお運びになってみてください。
また、詳細は不明なんですが、来年からは紅葉亭ではなく規模もかなり小さなお店が出来るとの情報もあるようです。
紅葉亭のおばちゃんに『来年からはどうするん?』
って聞いてみたら
『寝て暮らすわ』
って、笑顔で応えられたんですが、やっぱ寂しそうでした・・・
今年で、また1つ津山の小さな歴史が終わりを迎えます・・・・
最後になりましたが、紅葉亭スタッフの皆様、長い間津山市の憩いの場所として頑張って来られ、美味しい食事に楽しいお話をいつもありがとうございました。
涙が出てキーボードが見えなくなってきたので終わり・・・
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該当記事:メチャウマだった『ぼたん鍋』@横野滝『もみじ亭』:徒然なるままに、その日暮らし:So-netブログ
追記終わり
大変ご無沙汰しております;;
仕事疲れで記事のUPが遅くなってしまいましたが、先日、津山市横野にある年間約5万人の観光客が訪れる紅葉亭へ出かけてきました。
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おばちゃんが言うには『来るお客さん、来るお客さんに閉店しないで!って怒られっぱなしだったわ』って・・・
どれだけ紅葉亭が津山市民や近県の方たちに愛されていたかが判ります。
もう、今年限りで紅葉亭で滝を見ながら気さくなおばちゃんたちと話しながら食事も出来ないのかと思うと悲しくてたまりません;
で、焼き肉やぜんざいなども頂いて帰ったのですが、写真を撮るのを忘れてしまいました;;
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記事をUPしましたら、該当記事にもお礼を書きに参らせていただきます^^;
おばちゃんの話によりますと、紅葉亭が閉店すると決まったら、津山市から『援助をしようと考えていたのに・・・』とのお言葉があったそうですが、事後に言うのは簡単ですし嘘だったとしても判りませんよね?;;
紅葉亭は、オーナーご夫婦が43年前から経営をしてこられ、一度たりとも津山市から援助を受けたことがなかったようです。
なので、『ここへきて”援助”なんて言われても信じられない』とおばちゃんが言ってましたが、私も同感です。
平成10年の台風で、この紅葉亭は壊滅的なダメージを受け、復活に際しても津山市からは一銭も援助がなかったんだそうです。
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外部リンク:横野滝 - 津山市公式ウェブサイト
横野滝周辺の紅葉も終わりを告げようとしております。
紅葉亭の完全閉店まで残り一週間ありますので、是非とも紅葉亭へ足をお運びになってみてください。
また、詳細は不明なんですが、来年からは紅葉亭ではなく規模もかなり小さなお店が出来るとの情報もあるようです。
紅葉亭のおばちゃんに『来年からはどうするん?』
って聞いてみたら
『寝て暮らすわ』
って、笑顔で応えられたんですが、やっぱ寂しそうでした・・・
今年で、また1つ津山の小さな歴史が終わりを迎えます・・・・
最後になりましたが、紅葉亭スタッフの皆様、長い間津山市の憩いの場所として頑張って来られ、美味しい食事に楽しいお話をいつもありがとうございました。
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悲しい歴史の残る嵯峨井堰 [津山の歴史]
津山市中島に嵯峨井堰と言う堰があります。
外部リンク:嵯峨井堰 津山市中島 - Google マップ
江戸時代初期、森藩が寛永9年(1632)に現在の平福地区の整備のため弓削(ゆげ:現・久米南町弓削)の庄屋河原善衛門に命じ嵯峨井堰の工事をさせました。
それまでは、何度も小さな洪水で井堰が流されてしまっていたんだそうです。
そのため、村人は困り果て誰が言うでもなく『これは吉井川に棲む龍神の祟りに違いない』と言われるようになりました。
龍神の祟りを収めるため少女を人柱に捧げることになったのですが、事が事だけに人選にもめていました。
そんなとき、吉井川北部側地域の院庄の少女お福が『何千人もの人たちのためになるのなら私が人柱になりましょう』と申し出ました。
お福を龍神に捧げたことで、工事は順調に進み井堰を完成することが出来ました。
村人たちは、井堰のほとりに小さな社を建て、お福をお祈りしたんだそうですが、お社を見つけることが出来ませんでした。(中島側からしか見てなかったのですが、もしかしたら、院庄側にあるのかも・・・)
当時は、木柱を四方に並べ八畳くらいの板で囲い、その中に『練り積み張り石』と言う石を並べたもので、農工業用水、上水道として暮らしを支えてきました。
現在の井堰は、昭和47年に完成し、総延長240メートル、満水時4万トンと吉井川水系最大の規模を誇ります。
津山市中島側から見た嵯峨井堰
この、嵯峨井堰から中島地区に嵯峨用水が引かれ、田畑を潤し田植のシーズンには、のどかな水揚げ水車などを見ることができます。
今では、満々と水を湛え何事もなかったように川が流れ鳥たちの餌場にもなっていますが、お福の命が犠牲になっていることを忘れてはなりません。
外部リンク:嵯峨井堰・嵯峨用水【さら山地区】
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それまでは、何度も小さな洪水で井堰が流されてしまっていたんだそうです。
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お福を龍神に捧げたことで、工事は順調に進み井堰を完成することが出来ました。
村人たちは、井堰のほとりに小さな社を建て、お福をお祈りしたんだそうですが、お社を見つけることが出来ませんでした。(中島側からしか見てなかったのですが、もしかしたら、院庄側にあるのかも・・・)
当時は、木柱を四方に並べ八畳くらいの板で囲い、その中に『練り積み張り石』と言う石を並べたもので、農工業用水、上水道として暮らしを支えてきました。
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